将来もらえる年金額をみると
お先真っ暗、到底年金だけで暮らしていけない
繰り上げも繰り下げもするつもりはないが
ただでも少ない年金受取見込額からさらに
税金が引かれるという悲しみ...
非課税世帯の世帯年収って
これでどうやって暮らせるの?っていう金額なので、もう生活保護の方がよほどいい暮らしができるんじゃないかと思う。
散々働いて税金納めてきて、また年金からも持っていかれるのかと思うと勘弁してくれよ、と言いたくなる。
老後は茨の道なり
私の足にはタコ🐙が住んでいる
最近は歩くと痛くて痛くて
このまま段々と歩けなくなって死んでいくのか、、、
と、世を儚んだものだった
しかーーし!
意を決してドクターに診てもらったら
あー、これは痛いよなぁ
削ろう削ろう♪
ということになり、ものの2.3分で
私の🐙はスライスされたのでした
でも、また痛くなったら削ることになるのですが、とりあえずあの切ない痛みとはオサラバしました
痛みがなくなると、あの世を儚んだことなど嘘のよう
私の背中には🪽羽が生えました
よかったよぉ
若い頃は歩くことなんて全然抵抗なかったけど、歳と共に歩くことの疲労感がかなり大きくなってきておる。
1万歩弱で、座りたい〜〜って思う。足の筋力低下ももちろんなんだけど、外反拇趾からくる歩きづらさと足裏の感覚の変化も相当影響してる。足の裏でしっかりと地面を掴んでいる感覚が弱まっている。こういう感覚はトレーニングで戻るものとはまた違う分野ではないか?
とにかく加齢は抗えないものだと実感しております。
数日前の朝も、布団の端に足を引っ掛けてしまい転倒。まあ膝を少し打ったくらいでなんともないからよかったけど、結局布団をまたぐだけの高さに足が上がってなかったということ。
高齢者のケガは大多数が自宅というから納得です。
自分の老いを自覚して、しっかり生活しないとな、と思う今日この頃。
身体が動けるうちに行きたいところに行っておかねば後悔するな、きっと。
これを書きながら、正月の余りの餅を食っとりますが、飲み込みは丁寧にゆっくりですね。
ものすごく久しぶりに
トレーニングに行ってきました。
コロナ禍もあり、複数人数の集るところは避けていたのですが、もうそうも言ってられません。
身体をほぐしながら少しずつ負荷をかけて体幹や筋力に働きかけます。
この数年、生きることだけで精一杯で
感染症対策だけでストレス満載で
自分の身体のメンテナンスまで考える余裕がなかったけど、還暦を過ぎ明らかに足腰の衰えを感じ始め、とにかく自分の足で移動できなければ何もできなくなるな、という危機感を感じていました。
少し前に180段の階段を一気に登りましたが、息切れが半端なく
これはいかん
と、思ったわけです。
以前から長年の友人からもトレーニングを勧められていたので、思い切って行ってきました。
当たり前の感想ですが、
身体を動かすと気持ちいいです。
余計なことを何も考えずに済みます。
人間本来の姿にもどれるような気がしました。
さて、明日以降の筋肉痛がどう出るか⁈
それもまた、楽しみになっています(Mなの?)
いまだに元旦那との嫌な記憶がよみがえる
私にとって3人の子育てはとても充実していたと思う
でもその頃の記憶の端々に旦那との記憶もはさまってくる
忘れようにも消せない記憶
忘れたくて忘れた記憶の中に
大切な思い出もあった気がする
離婚したからには今が幸せでないといけないような強迫観念に追い込まれているのかもしれない
今も悩みだらけだし心配事だらけだし
でも、本来の「生きる」ということはそういうことなんだろうな
わかっているけど身体が疲れている時はとたんに負のオーラを纏ってしまう
自分のすべてを全部ひっくるめて肯定しないとな
そういえば子どもの頃から自己肯定感が低かった 私なんて、と思っていた
それはたぶん母親からの支配が影響していたのだと今になってわかる
本当に自分のやりたいこと、よくわからない
ただひとつ、自信があるのは
胡散臭さを嗅ぎ分けること
です